政府の金融政策は一般の労働者には厳しく、家計には届かず、景気回復とは言っても一部の企業家だけという感じがします。
須原地区は合併により魚沼市となりましたが、もともと山間地で過疎の村でした。
政府の政策とはいえ過疎地は必要無いから切り捨てられる感じがします。
どんどん人口が減り、若者の定住も仕事がなくて難しい状態です。
この地で生きてきた老人の住む場所は都会にはありません。
介護保険が始まって毎年のように改正され認定基準が厳しくなっています。
行き場を失った老人が大勢いるとの報道が何回もなされました。
都会にどんなに便利な施設を作っても行く事も出来ず、既存の施設は満杯で、空きを待っている人が入所者の2〜3倍はいると聞いております。
老いてから都会に出た子供の所に行っても仲間もできず施設に入れられたり、帰りたくても家を取り壊して帰れず、別に借家して寂しく過している話も良く聞きます。
交通の便も悪く施設の数もない田舎では行き場がありません。
一人寂しく暮らしている方々が沢山いらっしゃる事と思います。
そういう方を行政ではどこまで面倒を見ることができるのでしょうか。
この地域の過疎は加速度的に進んでおります。
保育所もなく働く場所もなく、若者はどんどん居なくなります。
集落が一つづつ消えてゆく事になるのでしょうか。
私をはじめ団塊の世代の人数が一番多いのは当然ですが、何年か後には団塊の世代の老後を支える人が居なくなり、施設の増設は難しいとなれば、今からシステムを作り上げておく必要があります。
その為には、共同生活や共同生産によって老後を豊かに安心できるものにしたいと思っています。
私はこの須原が大好きです。
この地訪れた際、豊かな自然と笑顔があふれる親しみある人々に出会い第二の人生はここにしよう!と決意しました。
平成18年8月1日に新潟市から魚沼市に移住NPOを立ち上げました。
今は地域の茶の間をOPENして、高齢者、幼児、障害者の方々がいつでも遊べる場所を提供しています。
この茶の間の決まり事は、隣近所に迷惑をかけない事、会員同士のプライバシーに触れない事、政治・宗教活動をしない事です。
人に会える、人と食事が出来る、笑いがある・・そんな茶の間です。
現在、魚沼の山菜を皆様にお届けするメンバーが200人となり、毎日いきいきと山菜採りをおこなっております。
そして有機野菜を作ったり、山菜を加工したりして雇用の場を作りたいと考えております。平成25年4月には、山菜の漬物が機内食に採用されるなど美味しいとご好評を頂くまでになりました。
加工品をさらに充実し、首都圏への販売ルートを確立させ若者の働く場の創出と地域活性化に取り組んでいきます。